養老孟司の講演会に行く。
COEプログラムの主催で人間の意識の問題から環境問題を語るというもの。
以下、印象に残ったことのまとめ
・人間の意識は“感覚”と“概念”から成り立っている。人間と動物の違いは、動物は感覚の世界だけで生きているが人間は感覚とともに概念の世界でも生きているという点。感覚は“違い”を見つける力であるが、概念は異なるものを“同じ”にしようとする力である。概念を端的に象徴しているのは“ことば”であり、動物がことばを話さないのは感覚の世界だけで生きているためことばを使う必要がないから。現代の社会は都市やインターネットに象徴されるように人間の概念が肥大化してしまっている。世界を概念だけで把握しようとし、すべてを同一化しようとする。違いを見分ける力が落ちている。
・個性や自分探しということばがあるけれど、人間はもともとみんな違うもの。感覚で見ればあたり前。個性を強調するのは、個性という概念に自分を同一化させようとする意味で矛盾している。あまりにも概念世界が肥大化すると違いが分からなくなる。“人を見る目”というが、個性なんて他人が発見するもの。自分で言うものではない。
・日本人が中高大学と何年も英語を習うのに英語を話せないのはなぜか?それはどこかに正しい英語の発音があると思っているから。大阪人が話せば大阪弁の英語、それでいい。アメリカ人の話す英語なんてひとりひとり違う。そこから認識を変えなきゃいけない。正しい発音があるはずという思い込みはNHKに代表される。NHKは自ら公平・中立な視点というが、そんなものあるはずがない。正しい発音というなら福島を福島の人が言うように“ふくすま”というのか。
・環境問題を解決しようとするなら、まず意識について自分たちの考え方について反省し、変えていくことから始めなければならない。
・概念世界の代表例がインターネット。インターネットの世界は情報が固定化された世界で、その情報とはすべて過去のもの。ニュースも今日“起こった”ことであり過去形で語られるもの。そういう意味では、今の世の中は後ろを向きながら前に進んでいるようなもの。若者が夢や希望を持てないのはあたり前。ちゃんと前を向いて歩かなければいけない。
・日本人がノーベル賞をとれないのはなぜか?百年前にアインシュタインが書いた論文をこの白髪の爺さんが読んでなんと思うか。こんなのあたり前・常識って思う。ノーベル賞を貰うような研究結果は百年たってもこんなのあたり前と思えるもの。個性的研究・独創的研究という言い方があるけれど、本当の立派な研究というのは突飛なものではなく、百年たっても遠く離れた国の人でもあたり前、こんなの常識と思えるもの。
・若い人は研究であっても仕事であっても本気でやって下さい。これが私の天職なんてものはありません。そもそも私は解剖学やってますが、解剖が天職なんて言う人間がいると思いますか。仕事ってそんなものです。それを本気でやるかどうかです。
(※要注:以上のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。)
言われてみればあたり前。けれど、それに自分で気付くのは至難。あたり前の話をする養老孟司がもてはやされる世の中ってやっぱりどっか変なんだろうなぁ。