3/11(土)15:00
大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会
指揮/下野竜也
Vn/玉井菜採 
ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
ドヴォルザーク交響曲第9番新世界より
アンコール
メンデルスゾーン交響曲第5番より第3楽章

今年2度目の「新世界」。
1月の読響では金管の大迫力が印象的だったけれど、今日の大フィルは弦の響きが際立った。
下野竜也氏のメリハリのあるしっかりとした指揮で硬派な演奏。
いつもは気になるチェロの響きも「新世界」にはぴったり。
とても気持ちがよかった。
京響も上手いと思ったけれどやはり大フィル・下野コンビの演奏はドイツ的な響きがして好きだ。
京響は近現代曲の演奏しかまだ聞いていないが、響きに色がないのでときに飽きてしまう。
この前のエルガーヴォーン・ウィリアムズ吹奏楽のようで迫力はあったがそれ以上ではない。
それに比べてラヴェルはとても面白かった。
ラヴェル特有のピアノの多彩な音色がオケの響きに色を添えて最後まで飽きることがなかった。
ピアニストのアンコールではピアノの無限の可能性を改めて思い知らされた。
一度彼のリサイタルを聴きにいきたいものだ。


話は変わるが先週ウィーン・フィルを聴いて思ったのは、オケはやはり弦パートが主役だということ。
モーツァルトシューベルトを聞いたが二曲とも弦楽器が鳴り響きとても心地良かった。
あんな演奏を聴いたら管楽器は添え物なのだということを痛感せずにはいられない。
ムーティの指揮も全てを統率するのではなくオケの自主性を活かした伸びやかなものだった。
そのため、ウィーン・フィルの飾らず力の抜けた生の音が体感できた。
演奏のでき云々ではなく、オケの特に弦アンサンブルの豊穣な響きに身を任せ音楽そのものを楽しむことが肝要なのだろう。
国立歌劇場でもやはり弦の響きに耳を奪われた。
あれだけ響くと音が鳴っているだけで楽しい。
ウィーン・フィルの響きは弾いていないようでいてちゃんと鳴っていて気負いもなく軽やか、そして自然、なんとも形容しがたいがとても好きだ。
それに比べると日本のオケは真剣に弾いているなといった感じ。
音色や響きが統制されていてとても理性的だが、ウィーン・フィルのような自由さはない。
音楽を芸術と考えるか楽しみと考えるかでもその評価は変わるのかもしれない。
最近の自分は後者に傾きつつあるが、もちろん芸術性も高くて楽しめる演奏を聴けることに越したことはない。