朝日新聞の夕刊に“批評はどこに”という特集が組まれていた。その文章に「批評の快楽」という言葉が使われている。71年生まれの市川真人氏、北田暁大氏、東浩紀氏はその快楽を知っている、知っていたのかもしれないが僕のような80年生まれの人間には快楽など通じない。次々代を担う世代には関係のない話。上っ面だけの教養主義を蔓延させ、批評に戯れ批評の快楽に溺れ衰退していったのはいったい誰だ。僕は前世紀の残滓を引きずって生きるなんてご免だ。