勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の本質は、「アイロニーでツッコミ、ユーモアでボケる」ことである。
『勉強の哲学』という書名だが、勉強というより研究とか探求とかの方があっているかも知れない。勝手な思い込みだが、勉強というと中高生レベルの勉強だと思ってしまった。ここで指している勉強は決してそんな生易しいレベルの勉強ではない。事物の探求のための哲学的構え・方法論を述べている。
認知科学的アプローチではない「探求するとはどういうことか」の解説とも言えそうか。研究者や思索者が普段やっていることを言語化してくれた。メタ的に解説してくれた。
だからといって、この本を読んでどれだけの人がアイロニー的に思索ができ、ユーモアが使えるか。そもそもこのような本に興味を持ち、実際にこの本を読み理解できる人はすでにこのような構えができているのかも知れない。本当にこの本のメッセージが届いて欲しい人たちにどれだけ届くのか。これぞ哲学というアイロニカルな営みである。無意味かも知れないと思いつつ、やめられないし勝手に考えてしまう。哲学的人間のサガである。と、ちょっとアイロニカルに突っ込んでみた。これをユーモアで返すとどうなるか?
「そうそう、昔、中島義道の本を読んだときに哲学病みたいな話が出てきたっけ。みんなはなぜ平々凡々と生きていられるんだ。世の中分からないことだらけじゃないか。とか何とか言う東大教学部の大森荘蔵の周りに集まった学生たち。うる覚えだけど。だって、10年以上前に読んだもんね。あの頃は、手当たり次第に乱読してたな。廣松渉永井均仲正昌樹宮台真司大澤真幸見田宗介東浩紀入不二基義、今道友信、鵜飼哲内田樹上野修大橋良介川本隆史木田元下村寅太郎高橋昌一郎高橋哲哉鶴見俊輔西谷修野矢茂樹三島憲一高橋順一森岡正博鷲田清一、富田恭彦、中山元柄谷行人久野収小室直樹三木清橋爪大三郎宇沢弘文飯田泰之伊東光晴稲葉振一郎猪木武徳、伊豫谷登士翁、岩田規久男、内田義彦、大塚久雄小野善康佐和隆光野口悠紀雄、根井雅弘、松原隆一郎、水野和夫、森嶋通夫、若田部昌澄、石田雄、猪口孝入江昭加藤陽子、鴨武彦、川崎修、齋藤純一、坂本義和佐々木毅松下圭一丸山眞男、大川正彦、大嶽秀夫杉田敦福田歓一藤田省三藤原帰一、藤原保信、武者小路公秀、天野郁夫、市野川容孝、小熊英二萱野稔人苅谷剛彦北田暁大酒井隆史渋谷望竹内洋橋本努道場親信山下範久山之内靖、松岡正剛高橋昌一郎金子勝村上陽一郎湯川秀樹佐藤文隆佐藤勝彦福岡伸一茂木健一郎川上弘美島田雅彦高橋源一郎森見登美彦万城目学姫野カオルコ柴崎友香桜庭一樹本谷有希子夢野久作古井由吉水村美苗、良知力、石原千秋庄司薫姜尚中斎藤貴男松本健一、西川長夫、市川浩加藤周一井上達夫、花崎皋平、高橋和巳遠藤周作筒井康隆小林恭二奥泉光武田泰淳三島由紀夫宮本輝村上龍山本義隆辺見庸大村はま小林秀雄、ジョン・ダワー、カフカ、ジョルジュ・アガンベンウォーラーステインポアンカレユゴーレベッカ・ブラウンポール・オースター、リチャード・P・ファインマン、アンソニー・ギデンス、ジョン・ケネス・ガルブレイスポール・クルーグマン、ジョセフ・E・スティグリッツアマルティア・センエドワード・サイードスピノザ、カント、カール・マルクス 、ウィリアム・ジェームズ、ジョン・デューイリチャード・ローティモーリス・メルロー=ポンティフリードリヒ・ニーチェ、エルンスト・カッシーラーシモーヌ・ヴェイユハンナ・アーレント、ジョン・ロールズマックス・ヴェーバーテオドール・アドルノ、ユルゲン・ハーバーマス、トーマス・クーン、ドストエフスキー、etc.の著作を読んでた。こんなに挙げると自分は何学科の学生だったの?と思うけど、数学科だったのよね。数学だけだと人間が偏ると思って、人文科学・社会科学を中心に漁ってたな。きっと、そこらへんの中途半端な大学院生よりも教養あったよね。それでさ…………。」てな縮減的ユーモア?をやってみる。確かにこれは自己満足の享楽である。データの羅列。他者にとっては無意味。分かる人には分かるけど。
ところで、アイロニーという言葉を聞くと、僕の敬愛するリチャード・ローティを思い浮かべないか。大学1年のときにリチャード・ローティの著作に触れて以来、彼の思想・哲学は僕の世界観・人生観の土台になっている。
真理はないというアイロニカルな構えを持ちつつ、だからこそ未来への希望を自分たちで作る。そんな希望の哲学である。
僕の中では、自分の支えになっているもう一人の人物フランクルの思想とも繋がっている。「人生に問われたものとして生きる」というアウシュビッツを経たあとの悲痛な覚悟。これも大学1年の夏休みに出会った。『夜と霧』を読んだ。
この二人の師に出会えたことが僕の人生を変え、人生を支えてきてくれた。生きる指針を与えてくれた。
この本では、ドゥルーズからの流れでアイロニーを語っていた。アイロニードゥルーズの関係を僕は知らなかった。面目ない…。
でも、分析哲学的な考察からポストモダン的な勉強論へと飛翔していく展開はとてもかっこいい。勉強をテーマにしてここまで語るなんてアイロニカルでいてユーモアがあるからこそなせる技か。
と、この本に触発されてこんな戯言を書いてしまった。しかし、それだけ刺激的で面白い本であった。
終わり。