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- 作者: 千葉雅也
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2017/04/11
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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『勉強の哲学』という書名だが、勉強というより研究とか探求とかの方があっているかも知れない。勝手な思い込みだが、勉強というと中高生レベルの勉強だと思ってしまった。ここで指している勉強は決してそんな生易しいレベルの勉強ではない。事物の探求のための哲学的構え・方法論を述べている。
認知科学的アプローチではない「探求するとはどういうことか」の解説とも言えそうか。研究者や思索者が普段やっていることを言語化してくれた。メタ的に解説してくれた。
だからといって、この本を読んでどれだけの人がアイロニー的に思索ができ、ユーモアが使えるか。そもそもこのような本に興味を持ち、実際にこの本を読み理解できる人はすでにこのような構えができているのかも知れない。本当にこの本のメッセージが届いて欲しい人たちにどれだけ届くのか。これぞ哲学というアイロニカルな営みである。無意味かも知れないと思いつつ、やめられないし勝手に考えてしまう。哲学的人間のサガである。と、ちょっとアイロニカルに突っ込んでみた。これをユーモアで返すとどうなるか?
「そうそう、昔、中島義道の本を読んだときに哲学病みたいな話が出てきたっけ。みんなはなぜ平々凡々と生きていられるんだ。世の中分からないことだらけじゃないか。とか何とか言う東大教学部の大森荘蔵の周りに集まった学生たち。うる覚えだけど。だって、10年以上前に読んだもんね。あの頃は、手当たり次第に乱読してたな。廣松渉、永井均、仲正昌樹、宮台真司、大澤真幸、見田宗介、東浩紀、入不二基義、今道友信、鵜飼哲、内田樹、上野修、大橋良介、川本隆史、木田元、下村寅太郎、高橋昌一郎、高橋哲哉、鶴見俊輔、西谷修、野矢茂樹、三島憲一、高橋順一、森岡正博、鷲田清一、富田恭彦、中山元、柄谷行人、久野収、小室直樹、三木清、橋爪大三郎、宇沢弘文、飯田泰之、伊東光晴、稲葉振一郎、猪木武徳、伊豫谷登士翁、岩田規久男、内田義彦、大塚久雄、小野善康、佐和隆光、野口悠紀雄、根井雅弘、松原隆一郎、水野和夫、森嶋通夫、若田部昌澄、石田雄、猪口孝、入江昭、加藤陽子、鴨武彦、川崎修、齋藤純一、坂本義和、佐々木毅、松下圭一、丸山眞男、大川正彦、大嶽秀夫、杉田敦、福田歓一、藤田省三、藤原帰一、藤原保信、武者小路公秀、天野郁夫、市野川容孝、小熊英二、萱野稔人、苅谷剛彦、北田暁大、酒井隆史、渋谷望、竹内洋、橋本努、道場親信、山下範久、山之内靖、松岡正剛、高橋昌一郎、金子勝、村上陽一郎、湯川秀樹、佐藤文隆、佐藤勝彦、福岡伸一、茂木健一郎、川上弘美、島田雅彦、高橋源一郎、森見登美彦、万城目学、姫野カオルコ、柴崎友香、桜庭一樹、本谷有希子、夢野久作、古井由吉、水村美苗、良知力、石原千秋、庄司薫、姜尚中、斎藤貴男、松本健一、西川長夫、市川浩、加藤周一、井上達夫、花崎皋平、高橋和巳、遠藤周作、筒井康隆、小林恭二、奥泉光、武田泰淳、三島由紀夫、宮本輝、村上龍、山本義隆、辺見庸、大村はま、小林秀雄、ジョン・ダワー、カフカ、ジョルジュ・アガンベン、ウォーラーステイン、ポアンカレ、ユゴー、レベッカ・ブラウン、ポール・オースター、リチャード・P・ファインマン、アンソニー・ギデンス、ジョン・ケネス・ガルブレイス、ポール・クルーグマン、ジョセフ・E・スティグリッツ、アマルティア・セン、エドワード・サイード、スピノザ、カント、カール・マルクス 、ウィリアム・ジェームズ、ジョン・デューイ、リチャード・ローティ、モーリス・メルロー=ポンティ、フリードリヒ・ニーチェ、エルンスト・カッシーラー、シモーヌ・ヴェイユ、ハンナ・アーレント、ジョン・ロールズ、マックス・ヴェーバー、テオドール・アドルノ、ユルゲン・ハーバーマス、トーマス・クーン、ドストエフスキー、etc.の著作を読んでた。こんなに挙げると自分は何学科の学生だったの?と思うけど、数学科だったのよね。数学だけだと人間が偏ると思って、人文科学・社会科学を中心に漁ってたな。きっと、そこらへんの中途半端な大学院生よりも教養あったよね。それでさ…………。」てな縮減的ユーモア?をやってみる。確かにこれは自己満足の享楽である。データの羅列。他者にとっては無意味。分かる人には分かるけど。
ところで、アイロニーという言葉を聞くと、僕の敬愛するリチャード・ローティを思い浮かべないか。大学1年のときにリチャード・ローティの著作に触れて以来、彼の思想・哲学は僕の世界観・人生観の土台になっている。
真理はないというアイロニカルな構えを持ちつつ、だからこそ未来への希望を自分たちで作る。そんな希望の哲学である。
僕の中では、自分の支えになっているもう一人の人物フランクルの思想とも繋がっている。「人生に問われたものとして生きる」というアウシュビッツを経たあとの悲痛な覚悟。これも大学1年の夏休みに出会った。『夜と霧』を読んだ。
この二人の師に出会えたことが僕の人生を変え、人生を支えてきてくれた。生きる指針を与えてくれた。
この本では、ドゥルーズからの流れでアイロニーを語っていた。アイロニーとドゥルーズの関係を僕は知らなかった。面目ない…。
でも、分析哲学的な考察からポストモダン的な勉強論へと飛翔していく展開はとてもかっこいい。勉強をテーマにしてここまで語るなんてアイロニカルでいてユーモアがあるからこそなせる技か。
と、この本に触発されてこんな戯言を書いてしまった。しかし、それだけ刺激的で面白い本であった。
終わり。